気安に訪れて (RSSフィード)
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2025年10月26日(日) 22:46:11〔1時間前〕 更新
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2025/10/26 (Sun) 20:04:36 New! No.1605 by 名無し 〔4時間前〕
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いかざしくりのまし山という、
これが間藤の・まとうの名の元。
村を、とうりく、という、さしゆらの言い。
まとうという名の村の造りゆらという。
中禅寺湖という名の前の呼びという、
まし湖という。まし山やの名を取る、
ちゅうらんふり、という、これを、
周覧という村の人という。周語を使う
村という。これで中禅寺といわず、
まし村湖という。大きな湖という、
私が言った時、まし村湖という呼びの
頃という。話す言葉が、周語である。
これを変えて、ちゅうそんらん、という
言葉という。群馬を、ちゅうそん、という。
群馬を代表する桐生という、大きな町の
言いという。この町も周語を使う。
町を、しわぜ、という、村もしわぜという。
周語を喋る群馬という。これが、群馬を、
そのまま、しわる、と読む読みという、
周読みという。周音という。この周音を
使う周語という。しわるれ闇の・おみとゆれ、
という。言葉を「ゆれ」という土地とそ。
山を「かる」という、これが周語の良語という、
女語の「カ」を「かる」に取る両語覧という。
これが群馬のことの言いに、漢語を使う、
ぐんま、という。この切り替わりの時、
私がいたことという、間藤という村とそ。
少し寒い感じがする場所とそ。春に行く
、ゆおらいき、という、「ゆおら」を
旅という、雌雄後女言葉。ゆおらのいきに、
くずっす、という男語の使いという。
くずっせったれ、という音語語の旅という。
両語で、くみつる、という。くみつるを
取る村という、間藤くみれ、という、両語の
言いという。これが記憶にある私の行きという。
中禅とはいわず、まし湖という。
「まし」
しか:女言葉、もよむ、とも、
はなる:男語、おねし、とも、
まし:男女という言いの両語という。
意が、池、湖という。
ましゆらる川という、渡良瀬川のことという。
わたらせ:女、みよす、とも、
ほいさり:男、るめる、とも、
りようび:両語、りさん、とも、
意が水流れ、川、という。
これで、りようびを取る間藤という。
間藤も両語である。
まゆけ:女言い、もよせ、とも、
れてる:男言葉、みもれる、えとれ、とも、
間藤の両語が、める、を取る、喜びの意とそ。
喜びの村という、しそれんふるの御村という。
これが亀をみぱんという村とそ。
みぱん:男言い、れろ、とす、とも、
えろれ:女言い、えしす、ろかれ、とも、
ふなる:両語、えのそ、えちす、とも、
亀をめでる言いという、亀の尻に毛が
生えている時という、大きい亀のいる
間藤という。皆、毛が生えている。
亀ゆしむ、という、毛のこと。
「毛」
ゆ:両語、はめ、はる、はし、はしや、とも、
れんろ:男語、るるおる、れちそ、しらる、とも、
めそる:女言い、めてさ、らりす、おんれ、おゆる、とも、
これを亀闇落という、亀を呼ぶ言葉とそ。
この言葉の使われる群馬の桐生という。桐生市とそ。
錐融資を、ゆばせら、という、この「ゆ」が毛を意味する
ことの言いという。桐生を「ゆけるら」という、
桐生市の言葉という。桐生を訪ねるひのことの言いとそ。
桐生の市役所という、後、ごわそる、という。
この日、市役所と言っていた私とそ。ごわそる、
ともいう。
「おーい、けふから、来よっただ」という桐生の言葉
とそ。
「きよっす、きらせら、きよっと」という私とそ。
周語の答えという。この周語が通じる頃という。
「来ました、きらのやから、京都です」という意とも、
京都をきよっと、という、この日の言いの・やましなれ、と
いう、やましなれの言いの京都という。この「きよっと」が
長く使われている群馬という、京都でも一部使われている。
清の山の江という、きょっとが、京都山をいう日の頃という。
京都市が山であった日とそ。
大きな山である、この日の高さ2000メートルを超える山とそ。
きよっとれっくれ、という、山を「れっく」という頃
とそ。京都山を取る私の言いともいう。京都山という、
京都市全体が山の日とそ。大きな高い山で、この頂上にいた
私という。いただきやの家という。
「いただき」
れとる:女言葉、るいら、とも、
さにの:男言葉、るせる、しそれ、とも、
ほんさみ:両語、るにの、るみゆる、るりし、も、
自分の居所を、さにのゆれ、という。男、
自分の居所を、れとるせみ、るいらっるら、という、女、
両語で、しもす、しみる、という。
自分の居所を、しもすちょうれ、しみるらる、という、両語、
この言葉が出る、桐生という、同じ言葉を使う、京蘭更(きょうらん
さら)の言い、とそ。京蘭語とも。桐生が京都を「きほれる」と
いう、後に湖になる、という意とそ。この日に桐生にいた。
湖になると言われたことという。
周語が未来を取る言葉という。「けふ」に湖の意がある、
これの説明という、湖になる京都という。
「けふから、来なっした」という、当時の桐生の
今の表現の言葉という。「来なせま」という、
けふたらの言葉という。懐かしい市役所での面会という。
御叔父御上という、おじ山の御方という。京都島原の
遊郭の御方という、この日、私も遊郭にいました。
遊郭を「きらる:女言葉」という、「えにる:男言葉」
「しもら:男」ともいう、「はにそ:両語」という、
遊郭を取る私の言いとも。
これが遊郭を政治の要閣という、後、要衝という。
遊郭を要衝録という、これが遊郭の言いという。
これが桐生でも使われていたことという。桐生の
周語という。市役所を桐生ゆうふり、という、
「ふり」を役所という。桐生ゆうふりの・やまぜかす、
という、市役所を、やくさらる、という、市役所が
杉語という、やくさらるが周語で、男女の周語という。
男語で、ろみさ、女語で、るいろ、という市役所の
こと。これを周音の市役所という。桐生周音の役所という。
やくさらる・あれら、
ろみさっぺ、
るいろうる、という役所の言いとそ。
それぞれ、両男女という。これを、良い男女という、
宵覧ずれ、という。良男女の山という、まし山こと。
まし湖を囲む山々という、カカという男語とそ。
この言いがある町という、桐生市とそ。さんるす闇という
桐生市のこと。群馬の古い言いとそ。この後、前橋へいく 、
そこに住まうことという。前橋駅の前という、駅も家という。
当時駅を家にしていたことという、これを駅舎という家という。
前橋がまだ、村であった頃とそ。桐生が先に市になり、
前橋を、きそん、と言っていた頃とそ。貴村。
貴村をケッペルという、ドイツの周音という。ゲルマン
ラークスともいう、ドイツ語山という、貴村のことという。
ケッペル篭絡という、村を篭絡という、周語。
ドイツの村ともいう。ゲルマン・ルークスともいう。
「ルークス」を「村」という、ルクション・パースレー
の言葉という、ゲルマニア語、ドイツよんたし、とも。
ゲルマニアを取る前橋という。前橋に住まう日のことという。
長くいた前橋という、後でも何回もいっている頃とそ。
前橋の山という、前橋の住所もある。古い住所で、
前橋市役所にある私の住所という。名前が小林壱裕です。
一裕とも書く。
前橋ひとやすら、という前橋の名前という、周語。
前橋ひとやすらを、小林焼という、小林ひとみ、という
名前とそ、小林瞳。これが通称です。私のことです。
瞳という、かかみのの名という、山々の名前のこと。
山々の名前を瞳という、山が人を見る話しという。
絵に目がある山の絵が描かれる、瞳遣という意とそ。
懐かしの前橋という、駅の前から学校へ行く日とそ、
少し間、学校へ通っていたことという。通学所という
家とそ。御親戚の御方々も一緒におられる頃とそ。
前橋市役所の御方々とそ。私もその一員です。
前橋市役所の公務員です。この公務員、A級公務員
という、永久公務員の話とそ。これがまだ私にあることという。
展覧所という前橋市役所という、市役所を展覧所という。
永久展ほり、という、私の席という。これがある私です。
前橋じくれす、という、役目という。前橋市役所の出来という。
A級の公務員です。
他都市ともいう、永久のことをA class という。
これを永久という意という、英語のAの意という。
これがゲルマニアを取る意のAという。『緋文字』の
Aともいう、ホーソーン先生の話という。
アメリカ・ユッサのAという、エターナルという、
アメリカ・ユッサレーの都市の公務員という、私です。
これも永久公務員です。エイ・クラスというお書き。
前橋にある私の書です。
群馬を永久路、A class rout という、言いとそ。
京都鴨沂の一部を、群馬ぶぜ、という、ここに生活する
群馬ゆいやる、という。ゆいやるを、ローヤルという。
私の生活という、京都鴨沂の、ぐんぱっすれ、という。
私の小川名の生活という、小林で生活をしていたこと
という。ぐんぱっせの名前を小川という。尾川ともいう。
おがすりらの御名とそ。
これが群馬県でも使う、小川よとの、という名とそ。
主として、文書に使う、公文書での使いとそ。今の世
の中のことです。私が書いた記録がたくさんあります。
小川よとの名の署名という、下に小林壱裕という署名が
あります。小川よとのこと小林壱裕という。
尾川やますともいう署名もあります。下に、小川よとの、
小林壱裕の署名があります。小川明の山という。
この小川明の名を男名という、小川昭とも。
小川晶を女名という、おがわるれ、という読みとそ。
小川多を両語の名という、おがわよき、と読む。
これが名前の周語で、
男名をションという、
女名をシレサという、
両語名をソミルという、これがゲルマニアの名前ともいう。
ゲルマニアの名前を使う群馬での使いという。
男名を、群馬言いで、れせろ、
女名を 〃 ぱみる、
両語名を、 〃 そめせ、 という。
これが群馬市役所での役目をいう。
ションシレサソミルという、パラグアイの名前という。
私の南アメリカのパラグアイというその国での名前ともいう。
これに値する南アのパラレルという、名前のことという。
キラジーという男名、
キモレという女名、
シサムという両語名とそ。パラグアイの名前という。
パラグアイ政府の要衝の名前です。
ボリビアへ行くと言った桐生尺所という橋よとそ。
「ボリビアかっそらめ」という周語とそ。南京政府の
言いともいう、「ホッソーメ、スーラー」という、
南京政府の王朝という、ここでもボリビア行をいう。
「ポッショ、クーレース、しおっられい」という周語
の言いという、南京の周語とそ。名前が「周語」という、
私の南京での名前という。ぽーすふーみーという、南京
政府という、日本の言いともいう、どちらも使う私の
周音という、男女両の言いも使う、ナンキンフーサメー
という。南京周語の話とそ。少し古い中共南京です。
革命の都という、命革ハームスという、リーカシレル
という。それぞれ女男両という。南京の周語とそ。
女名を取る市役所という、主に女名を使う、
市役所の、もとさまの部署という、今の名の
登記という、登記の部署の役という。今も変わ
っていない話とそ。今の世のことです、比較的
新しい頃という。私が前橋に住んでいたことという。
前橋ゆきす、という名とそ。女語男語両語を使って
おりました。南京双方ともいう、群馬の南京の名という、
南京双方という群馬前橋のことという。
ゲルママニア、中国、日本の双方という。
群馬を双方都市という。これが出てくる今の世の
中という、副都心ともいう。群馬のふくれるという、
群馬よんすかの都市という。未来をいう周語の使いとそ。
今です。
小川の御名を踏襲する私という、尾川ゆうはん、ともいう。
ゆうはん・しゃっけすの言い。
未来を見る周語で、これで今からの過去が出る、
未来もいう、今の周語の使いという。
周語の正しきを取る、展覧よぜふら、周語のことという。
これで未来も見えて来たという、私のことという。
「はいなめ」という歌という。今作っている歌です。
それに周語が使われている。秋残り「駄作家による
作曲講座」の歌という。未来を見る歌ともいう。
古い周語を思い出して使う楽しいことです。
小川らんぞる、という文章です。
http://akinokori.sblo.jp/ 20251025