水無瀬三吟百韻
20240813
【私は、すみしょ。】
私は、すみしょ。
えらる家のえかれ、いそしそのくっぴず、
めしての家という。やもれるいば、という。
家を、せいかし、という。
めるせるらっくの言いという。
やたみらのやませ、という。今の家の、
いそぎら、という。家を、そきかり、
という。これで家を、すみしょ、
という。この「すみしょ」が通常語という。
そうきょう語のかわりが、ておしば、と
いう。この言いが、ておれす、という、
くりしる言いという。「すみしょ」を、
べんさめ、という、べんさめ、という言い
という。
「私は、べんさめを使います」という意で
す、「すみしょ」という。
こいしらのべんとれ、という。これを「さり」
という。さりられる家という、すみしょの意
という、さりという。
これを、めろるれ、という。めっしる指とい
う。指を、けれすれ、という、けんてすれく、
という。
これらの言葉の、いばしる、という、「みよ
れす」という。これが、うちすらをとる、
みばんれく、という。めつれ遣りという。
これを、すみしょ、という。
すみだれるいや、という、家のこと。
【家】
家という、家の言葉の出来という。やまづ
られる意という。という人のお教
えという。山崎の丘の御家のお住まいとい
う。小川ゆかしらのいや、という。家の、
やいさめ、という。これを、すみさめ、と
いう、家の、かわしら、の言いという。
これが出来をとる、やばす、という。家の
出来という。すみしょのだいしらる、という。
歌語の山崎という、歌語を駆使する場所とい
う、一名、山崎御ぜら、という。歌語を、
ぜらしょり、という。御ぜらの使いという。
山崎の、みなやせ、という場所という。
歌を、とめられ、という。
べしょみしょの言いという。
すみしょを、みしたれ、という、まんされの
言いという。おがれすがわ、という、淀川の
こと、という。おがれすれんくせ、という。
やますの家の言いという。これが、やまずを
いう、やんかしのいや、という。やませるは
まの、いきらぎ、という。これを、言葉とい
う。言葉の出来という。
淀川の小川、おがれすがわ、川を小川という。
みよさらのお書きという。
うちの本家という。小川ゆうがし、という
名という。私の小川名。
【水無瀬三吟百】
おこぎょ、という、れべんのいぱしら、と
いう。やまさ山のお言いという。小川れん
がし、という。この「れんがし」、後の連歌
という。近くの水無瀬三吟という、水無瀬
三吟の連歌という。水無瀬三吟百韻という。
これを、すみしょれんすみ、という。すみ
しょのつられうた、という。五七の形式の、
うたれ、という。やますられやりの、いか
げる、という。いかせの歌という。水無瀬
三吟百韻のことという、連歌。