政治・世の中のこと 何でも言うて
2026年1月8日(木) 03:31:44〔14時間前〕 更新
■No.1919, No.1918, No.1917, No.1916, No.1915, No.1914, No.1913[7件] ( 7 件 )
〔295文字〕 編集
2026/01/03 (Sat)
13:35:14
No.1918
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名無し
〔5日前〕
うんこを尤もの理という。尤理という、尤理考の化学という。自分のうんこを考えることという。食物がどのように変わるかを考えることという。龍覧考という。
大龕の地を考え大龕考という。
富士五合を、たいさり、という。
この大龕を、きとかひ?、という。
ここにいる馬鼬等の動物、虫を考自分えることという。動物のや、という。
略。
これを取る、れてそ、という。龍の考えという。龍脳のやば、という。自分の脳を考える、やまるら、
という。自分の考察という、自分を見る話という。これを、龍眼という。
この龍眼を考えに取る、たいれん、という、大連。大連を大龕に取る、中国の地という。
〔252文字〕 編集
2026/01/03 (Sat)
13:21:51
No.1917
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名無し
〔5日前〕
流域の化学という。六角形の印という。ろくせられ、という、みよやの言い。みよやが我家です。我家に
いる龍という、みよや龍という。
みよやを、れれ、という。れれ龍とも。れれを、流れに取る、やたゆた、という言いとそ。やたゆたの龍という、めよたの・いとゆり、という。
糸揺りの龍という。龍を糸という、変わって、意図という、龍がわり、という。うんこのことを、龍変わりという。これを、尤もという、
うんこを尤と印す、みぺすら、という。これが化学の変わりを取る、化けという。化学の出来の話という。
〔526文字〕 編集
2026/01/03 (Sat)
12:50:30
No.1916
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名無し
〔5日前〕
化学に六角形を使う亀という、亀を龍という。亀甲羅を龍悦という。龍悦論の化学という。私の化学という。うんこになる食物を考える、闇皿という、化学の場という。これを大龕是という。大龕是やばり、という場所のこと。化学を大龕という。
御師の場の言いという。川向かいの御師の場を、おんし、ともいう。
後、音使という字を充てる、此れを、龍おり、という。うんこの姿を、龍腕という、龍の腕を見る意。
この腕が二つの両側の六角形の形という、これを、しわばら、という、皺原。 化学の場を皺原という。学校の黒板ともいう。うんこの字を書く場所という。これを龍域と
言う。後、流れの流域という。川の印という、六角形という。
六角形に棒を1本添える、流わしから、という、流れの渡しの意という。流れを渡る私という。流域覧という。
流域を、らんせ、に取る、あおてさ、という。あおての言い。あおを、せいたみ、という。青。青の山という。青の山から流れる川の色の変わりという。色が変わる川とそ。
私家の前の川、この流域を、こいかわ、という。こいかわの縁先の、ぎょえん、御苑という。この御苑を取る私家という、この家を流域という。龍が居る場所という。
〔573文字〕 編集
2026/01/03 (Sat)
12:17:17
No.1915
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名無し
〔5日前〕
2から、始まる、うんこの正月という。
大雁丸、大龕横(おおがんまる、と詠む)のおいや、という。一つは、富士の五合目のある。歓覧の
山という、富士山という。この呼びの、うつれつ、という。うつれつがある。これが、富士のことを、めそる、という。革命を取る言いという。革命の富士という。
ババを大龕という。うんこを、場に取る、龕の言い。ここに、がんという字がある。合わす龍を一つにする龍ざれ、という。字を合わすことを、され、という。できた字を、はめさり、という。ババをはめという。これを化学という。字の化学という。化学龍という合龍という。
はめのある場所を、じっぽ、という。十歩と書く。じっぽと読む。
十歩龍という、うんこのこと。
これが化学を取る大龕という。字の作りの話。大龕れく、という、
「れく」を話という、これが、龍という言いという。れくの音便という。音便がかわる龍覧という。龍覧の大龕れく、という。北側の家の話という。私家の北側に流れる川の対岸、東西の川の北側という。大龕れ、という。ここを、ぎょし、御師という。ぎょしを卸すという字を取る、大龕てす、という。この大龕を、じりん、という。字輪。
これでうんこの見えをいう、字輪のうんこという。龍の言いという。
〔632文字〕 編集
2026/01/03 (Sat)
08:32:49
No.1914
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名無し
〔5日前〕
みてじ、女言葉、よべ、
ふよべ、総称、ほにそ、
はきく、両、せみ、
道のこと。
これを、れよせ、という。
「寄席」の語源、たゆるの山、という言い。之が、三千を取る、はなめ、という。ゆみばしの山の言い。
ほの山の・おして、という、はなよきのやそ、という。やそを、はちじゅう、という。十をそという。八十を、やそ、という。ややのういとい、という。やむたしの・きびし、という。えっせの・はおら、という。これを、はおり、という。またゆたの言い。「はお」を「てる」という、みしよしの山という。
この話が、二十進数の話。はなよを、掛ける、ういさい、という。
えっぴの山という、あにそやのふとん、という。布団を掛ける、ふにのに、という。ふにの由良という。
その場の、ゆばせり、という。
これを、みとやり、という。
鳥を、たのせ、という。鳥を、食べることを、たやせ、という。これを、たのみさ、という。京都弁の「たのみぃさ」になる。あにそゆの若という。若を、とめさり、という。とめさるのひば、という。山たしのおりるれ、という、「おり」を山に取る、あおらじ、という。
「あおらじ」は道のこと。
朝の池を見る、せりさり、という。
せりの山のおえ、という。「せり」をめという。めを取る山という。
これを、りそう、という。理想という郷の、あたゆた、という、これが、理想を言う、はなゆか、という。はなゆかを、てそ、という、てそやりの言い。てそを尊ぶ花床とそ。
中国を、龍ふれ、という。化学の地の言いという。大龕ゆんてし、という中国を取る、わよたさ、という、考えを、きもせ、という。思考の中国という。これを思考覧という。思考覧の龍という。
龍をアブラハムさんに充てる、
ドラゴンモッセリという、チャイナどろっ国という。古い須堂の言い。
中国を取る、やませらる・いとよ、という。龍思考、流思考の輪という。ドラゴンシンクという、セイングの夢という。セイングの龍輪田という。
この文を、こしらる、という。
私が京都大学にいた時に書いた文。
京都大学の、ちょうかす、という。
私の文の憶えという。文を、てらる、という、みよたの言い。
今を去る70年前という、京都大学に山があった頃という。赤い山の絵という、江でもある。龍江という話という。京都大学の江の場という。ここを、龍江といい、みわれ、という。