No.1332, No.1331, No.1330, No.1329, No.1328, No.1327, No.1326[7件]
あべの名をいう、あみらぜ、
という。阿部楼の言葉
という。阿部楼にいた私という。
阿部むさしの山という。本万の隣
の遊郭という。阿部山のおいられ、
という。阿部のふからぐ、という。
埼玉の遊郭という。京都島原を埼玉閣という、島原の埼玉という。
遊郭を埼玉という。埼玉を、てそめ、という、さいはつのゆま、という。これを、入間路(いるまじ)
という。入間の埼玉という。さき
みたま遣りの言いという。
という。阿部楼の言葉
という。阿部楼にいた私という。
阿部むさしの山という。本万の隣
の遊郭という。阿部山のおいられ、
という。阿部のふからぐ、という。
埼玉の遊郭という。京都島原を埼玉閣という、島原の埼玉という。
遊郭を埼玉という。埼玉を、てそめ、という、さいはつのゆま、という。これを、入間路(いるまじ)
という。入間の埼玉という。さき
みたま遣りの言いという。
大阪のえどを取る、かしの
ゆうらん、という。これを、
かしらぐ、という。かしみすの
おことゆと、という。おこしらの
言葉を取る、言いびらし、という。
これを、あいふかし、という。
あいを取る、ころせらり、という。
古くコロポックルの言葉という。
コロポックルこうきり、という。
夕霧楼の言葉という。
コロポックルこうきりを、遊郭
用語という。夕霧楼に住まいがある
ことの言いという。これを、座敷
由という。座敷由の言葉を話す
人という、私のことという。
座敷ころらげ、という、あべゆらせ
のことの山という、足引のあべ、
という。あべを足引きと取る
いやまぜ、という。あべゆさせ、
ともいう。あべ川由良の言葉という。
ゆうらん、という。これを、
かしらぐ、という。かしみすの
おことゆと、という。おこしらの
言葉を取る、言いびらし、という。
これを、あいふかし、という。
あいを取る、ころせらり、という。
古くコロポックルの言葉という。
コロポックルこうきり、という。
夕霧楼の言葉という。
コロポックルこうきりを、遊郭
用語という。夕霧楼に住まいがある
ことの言いという。これを、座敷
由という。座敷由の言葉を話す
人という、私のことという。
座敷ころらげ、という、あべゆらせ
のことの山という、足引のあべ、
という。あべを足引きと取る
いやまぜ、という。あべゆさせ、
ともいう。あべ川由良の言葉という。
あしるり、をいう、山の
お足という、山を歩くと
いう、山白・やましら・の
言いという。山を、あるせら、
という、遊郭の言い。これを、
遊郭の言葉という。大本営の
遊郭という、埼玉ともいう。
きっちょら、という、きよしら
の言葉のこと。きっちょらふり、
という。本万はつれつ、という、
本番ともいう、かしののことゆる、という、かしのしきのことのゆれ、
という。かしのしきの言葉のこゆせる、という。かしのいっきすの
言葉という。かしの言いすりの闇
という。「かしのしき」を言葉という、かしのようびす、ともいう。
お足という、山を歩くと
いう、山白・やましら・の
言いという。山を、あるせら、
という、遊郭の言い。これを、
遊郭の言葉という。大本営の
遊郭という、埼玉ともいう。
きっちょら、という、きよしら
の言葉のこと。きっちょらふり、
という。本万はつれつ、という、
本番ともいう、かしののことゆる、という、かしのしきのことのゆれ、
という。かしのしきの言葉のこゆせる、という。かしのいっきすの
言葉という。かしの言いすりの闇
という。「かしのしき」を言葉という、かしのようびす、ともいう。
きっからるらのお言い。
きっかしの山のおえ、という。
とみさみを取る言い。
吉野山のお言いを取る
だいじん、という。後、
だいじんあべやり、という。
だいじんの言葉という。
わたがいの由良という。
わたがいを遊郭の名という。
わたがいやのいば、という。
私の住んでいた遊郭とそ。
この遊郭を、ひがらし、という。
ひがらしの山のいとれす、という、
遊郭の言葉の元という、いとやりさみ、という、遊郭しょうこす、とも。
きっかしの山のおえ、という。
とみさみを取る言い。
吉野山のお言いを取る
だいじん、という。後、
だいじんあべやり、という。
だいじんの言葉という。
わたがいの由良という。
わたがいを遊郭の名という。
わたがいやのいば、という。
私の住んでいた遊郭とそ。
この遊郭を、ひがらし、という。
ひがらしの山のいとれす、という、
遊郭の言葉の元という、いとやりさみ、という、遊郭しょうこす、とも。
本万を、くゆすり、という。
遊郭の名という。くいぺっす、
ともいう。これを、よしぬね、
という。よしぬの遣りという。
吉野山のおえ、という。吉野山の言葉とそ。遊郭の言葉を、よしぬね、
という。吉野山ようりす、ともいう。遊郭を吉野という。吉野きいさき、という。吉野のいやるら、と
いう、「いや」を言葉という。
言葉を「れれ」という、吉野みす、
という。遊郭の言葉という。
これを、だいじん、という。
おお尽くし・だいじん、という。
おお尽くしのだいかるの言い。
吉野山ふなれす、という。
吉野のやばすら、という。
遊郭を、いとせに取る言いとそ。
きっから、きっから、
壬生の賀陽遊郭へ行くひの
童唄、きっから、ともいう
みよべの歌とそ。
「りっしゃん、かっせみ」という
歌のやの言葉、てろれろ、ともいう。たいみらのえび、という、
うたゆとの鯛当たり、という。
鯛を釣る、りっかまり、という。
鯛見る遣りの言い。
さみすわれす、ともいう。
壬生のうたしらるという。
鯛しらるお遣りという。
鯛見の歌の意。鯛しらを取る歌。
遊郭の歌とそ。
壬生の賀陽遊郭へ行く、はるらべ、
という。はるらべのゆいさみ、と
いう。「行き」を「はる」という。
壬生遊郭用語。これを、ちよ、
という、ちよべず、ともいう。
壬生かんすめの言葉。
おいらじ、という。
花魁の語源という、おいらじの
うたりら、という。きっからるう、ともいう。
「きっから、きっから、しおせみ」
という、きおしらのことゆら、
という。島原の遊郭へ行くこと
という。しおりらすうくす、の
言い。これを、しまつらす、という。まべらすのくいじす、という。
「くいじす」が歌の意。
「まべらす」を、「かよふれ」と
いう、やしのの山という。
「やしの」を「てろす」という、
とろのうりふり、という。
壬生の賀陽遊郭へ行くひの
童唄、きっから、ともいう
みよべの歌とそ。
「りっしゃん、かっせみ」という
歌のやの言葉、てろれろ、ともいう。たいみらのえび、という、
うたゆとの鯛当たり、という。
鯛を釣る、りっかまり、という。
鯛見る遣りの言い。
さみすわれす、ともいう。
壬生のうたしらるという。
鯛しらるお遣りという。
鯛見の歌の意。鯛しらを取る歌。
遊郭の歌とそ。
壬生の賀陽遊郭へ行く、はるらべ、
という。はるらべのゆいさみ、と
いう。「行き」を「はる」という。
壬生遊郭用語。これを、ちよ、
という、ちよべず、ともいう。
壬生かんすめの言葉。
おいらじ、という。
花魁の語源という、おいらじの
うたりら、という。きっからるう、ともいう。
「きっから、きっから、しおせみ」
という、きおしらのことゆら、
という。島原の遊郭へ行くこと
という。しおりらすうくす、の
言い。これを、しまつらす、という。まべらすのくいじす、という。
「くいじす」が歌の意。
「まべらす」を、「かよふれ」と
いう、やしのの山という。
「やしの」を「てろす」という、
とろのうりふり、という。
New! やちき、ひのし、八来る
日之世。京洛の名。
鳴る影、成る影という、なるかげひのしべ、という、やだしらのいい。
久保佐
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久保佐