政治・世の中のこと 何でもいうてんか - Fumy Otegaru Memo Logger -
2025年3月15日(土) 00:14:44〔4時間前〕 更新
■No.280, No.279, No.278, No.277, No.276, No.275, No.274[7件] ( 7 件 )
〔447文字〕 編集
2025/02/16 (Sun)
21:54:46
No.279
by
名無し
〔26日前〕
大宮いき、そこから少し北東へ行く、
御池通りになる、それから東へ進路を
とる、御池交範へ着陸する。ジャンボ
・ジェット機という。高度100~150
メーター。このジェット機に始祖鳥が
羽を広げ快く迎えてくれた。この始祖
鳥がまだいる。場所が東寺辺り。何匹
かの始祖鳥という。15、6かな。飛行機
の傍まで来て羽を広げ歓迎してくれた。
私に顔を見せ、私の顔をみた始祖鳥とい
う。和気藹々の空の出来事という。
今も私は始祖鳥が好きである。私の家に
いた始祖鳥という。この始祖鳥がまだ
いる。後に、静岡であったか、関東の
動物園という私の動物園に行った時に
始祖鳥と書かれた表札という。
この時にいたのである。
後、皇居へいく、イルカが顔を出して、
私に挨拶をしてくれた。二条城にいた
イルカとそ。
ウクライナには大猿もいる、私にこの間
の戦争で、テレビに顔を見せたくれた大猿
という。「ああ、あのお猿だ」と気がつい
た私という。懐かしいウクライナの大猿
とそ。
〔385文字〕 編集
2025/02/16 (Sun)
21:38:48
No.278
by
名無し
〔26日前〕
京都へこられたことという。京都市
役所とそ。京都市役所の前が大池で
あった頃とそ。御池通りという。その
頃寺町通りが南北の丘であった。瓦町
という町とそ。土で瓦を作っていた頃
とそ。殻を待ち通りの一本西の通り、
寺町通りという。丘床様という、古い
呼びとそ。その頃の先斗町(ポントチョウ)
という、ポン、ポントがポルトガル語か。
ポルイガルの大御祖母さんがおられた、
京都市役所、私の家です。トリケラトプス
(恐竜)と共に住んでいたこととそ。
1メートル程の蝶々、トンボという、いた
頃という。私が外へ出れば、頭に止まる
こととそ、蝶々頭という、トンボ肩という。
そんな頃です。市役所が立つ前、東西に
長い丘であった、この丘が私の家前の
丘から続いている。
後、御池を埋め立て、御池通りを
飛行場にする、御池交範という。
という。
〔283文字〕 編集
2025/02/16 (Sun)
21:27:39
No.277
by
名無し
〔26日前〕
ソ連のウクライナ地方という。誰も
いれない時とそ。共産主義であるから
行けないのである。行ったという人が
いる。どんな人だろうか。
この当時から少し新しいウクライナ、
ヨーロッパ、天皇をボロカスに言って
いたところである、アロメリカ、ロシア
もそうである、イギリスもそうである。
私はそういう、ロシア、アメリカ、
ウクライナ、ヨーロッパが好きである。
古い新聞をしらべればよい、たくさん
出ている。
イギリス王室の御方々とキエフに生活
していた、露西亜人アメリカ人。ホルト
ガル人、マリウッポリ近辺の村に、ポルト
ガル語がある、今もあるでしょうなが。
〔198文字〕 編集
2025/02/16 (Sun)
21:13:54
No.276
by
名無し
〔26日前〕
当時、ウクライナは共産主義りソ連邦
の国、キロシラキルという日本の呼び。
キロッポンレルのいやという、家とそ。
アゾフ海の近く、イソリという家。
大きな地震があった時という。ロシア
箱揺れともいう。地面が波のように
なった。その波の跡がこの間の戦争の
写真ででておりました。この地の波が
ずっと遠くまで続いている。ロシアの
サンクトペテルブルグという、そこまで
いっていた波の地とそ。
〔306文字〕 編集
2025/02/16 (Sun)
20:54:03
No.275
by
名無し
〔26日前〕
キエフに湖がある、畔に世界1、2を争
う軍港があった、対岸へ渡る地下道がある。
私がマリウポリ、キエフにいた時、茶室を
建設した。マリウポリに大きな2つの製鉄所
がある。一つはこの間の戦争で有名になった。
もう一つある。製鉄所が、地下16~23位の
深さという。この頃のウクライナ、地上に
は動物が走り回っている。ライオン、象、
豹、熊、大猿、猪、狼・・・など。アフリ
カのような感じ。そのような時に私が住んで
いました。茶室へ行ったりしていました。
ゼレンさん(後のゼレンスキーさん)とともに
いた日もあります。
製鉄所の地下にすんでいました。戦争で
壊された製鉄所、懐かしいことです。
この頃の皇居という、英ヘンリー
3世、仏ルイさんもおられた。京都
保田城かせ行った時という。東京
和宮がある頃である。駒込の城も
あった時とさそ。江戸城からは、
兵が長く続いている、富士原生林
という、藤げセイリンに石垣が残っ
ている、私どもの工事という、江戸
城からの続きという。塀の中で豆を
拵えていた。井之頭城のお書きという。
後、新宮殿に住まいをする、これを、
れそくり、という住まいをれそという、
当時の江戸大村城の言葉とそ。新潟
村上城からも来た処という、金沢城
からは勿論である。村上からのオスプ
レーの登城という、オスプレー・
もけはん、という。もけはんという、
オスプレーのこととそ。