お手軽一言掲示板 気安に訪れて RSSフィード

政治・世の中のこと 何でもいうてんか - Fumy Otegaru Memo Logger -

2025年3月15日(土) 00:14:44〔4時間前〕 更新

■No.283, No.282, No.281, No.280, No.279, No.278, No.277[7件] ( 7

■フリースペース: 編集

望むこと
ああしてほしい、
こうしてほしい、
なんでも好きなこと、
不平不満ぐち

直ぐに反映されますから、
期待してください。

■日付検索:

■全文検索:

or 管理画面へ

〔101文字〕 編集

No.283 by NO IMAGE 名無し 〔26日前〕

続き。
ある時、虎を連れいかじす山へ登る。
虎が崖から降りていったという。家へ
着き虎のお迎えとそ。虎が頭を下げ、
喜びを言うてくれた、無事戻ったと
いう。優しい、上品な虎とそ。白い
虎とそ。
回教投稿

〔216文字〕 編集

No.282 by NO IMAGE 名無し 〔26日前〕

恐竜の頃。
トリケラトプス、チラノザウルスという、
後、京都の岡崎の私の家へ連れていく、
動物園という、今の動物園のある所。
そこで音楽会をして、動物にも聞かして
いた、チラノザウルスが尾を立てて見て
いた、セトンともいう。日本足の恐竜と
いう、トリケラトプスの部屋もある。
その頃の虎もいる、象もいる。私を見
れば喜ぶ。ペンギンもいる。皆
私の家族である。いかじす山を知る
動物達とそ。花邑の頃からの動物
恐竜である。

回教投稿

〔364文字〕 編集

No.281 by NO IMAGE 名無し 〔26日前〕

続き。
ウクライナの狼という、毎日私に乳を
飲ませてくれた。また、ウクライナの
大猿という、胸を叩き、乳を飲めという。
威嚇行為というんか? 私には乳吞の
合図という。
 狼の乳吞、後にインドのデカン高原へ
行く、そこでも狼の乳を飲んでいた、
狼少年の話という。インドの話とそ。
狼に育てられた人という、コロポックル
のことである、私という。ロム人?というか。

 狼、大猿を御母という、私という。
日本でもそうである。牛乳よりも少し
薄く感じた、狼の乳。懐かしいものである。
山羊という、この山羊も私の家にいた
頃とそ、牛もいて、馬もいたことという。
懐かしい昔のこと。馬の家、牛の家、熊、
羊、始祖鳥の家、動物の家がたくさんあった
こととそ。トリケラトプス、象の家も。
トリケラトプスがいる話という、恐竜とそ。

会教投稿

〔306文字〕 編集

No.280 by NO IMAGE 名無し 〔26日前〕

続き。
この頃の皇居という、英ヘンリー
3世、仏ルイさんもおられた。京都
保田城かせ行った時という。東京
和宮がある頃である。駒込の城も
あった時とさそ。江戸城からは、
兵が長く続いている、富士原生林
という、藤げセイリンに石垣が残っ
ている、私どもの工事という、江戸
城からの続きという。塀の中で豆を
拵えていた。井之頭城のお書きという。
後、新宮殿に住まいをする、これを、
れそくり、という住まいをれそという、
当時の江戸大村城の言葉とそ。新潟
村上城からも来た処という、金沢城
からは勿論である。村上からのオスプ
レーの登城という、オスプレー・
もけはん、という。もけはんという、
オスプレーのこととそ。

〔447文字〕 編集

No.279 by NO IMAGE 名無し 〔26日前〕

この飛行場へ行く、東寺から四条
大宮いき、そこから少し北東へ行く、
御池通りになる、それから東へ進路を
とる、御池交範へ着陸する。ジャンボ
・ジェット機という。高度100~150
メーター。このジェット機に始祖鳥が
羽を広げ快く迎えてくれた。この始祖
鳥がまだいる。場所が東寺辺り。何匹
かの始祖鳥という。15、6かな。飛行機
の傍まで来て羽を広げ歓迎してくれた。
私に顔を見せ、私の顔をみた始祖鳥とい
う。和気藹々の空の出来事という。
今も私は始祖鳥が好きである。私の家に
いた始祖鳥という。この始祖鳥がまだ
いる。後に、静岡であったか、関東の
動物園という私の動物園に行った時に
始祖鳥と書かれた表札という。
この時にいたのである。
 後、皇居へいく、イルカが顔を出して、
私に挨拶をしてくれた。二条城にいた
イルカとそ。
 ウクライナには大猿もいる、私にこの間
の戦争で、テレビに顔を見せたくれた大猿
という。「ああ、あのお猿だ」と気がつい
た私という。懐かしいウクライナの大猿
とそ。

〔385文字〕 編集

No.278 by NO IMAGE 名無し 〔26日前〕

続き。ポルトガルの大御祖母さん、
京都へこられたことという。京都市
役所とそ。京都市役所の前が大池で
あった頃とそ。御池通りという。その
頃寺町通りが南北の丘であった。瓦町
という町とそ。土で瓦を作っていた頃
とそ。殻を待ち通りの一本西の通り、
寺町通りという。丘床様という、古い
呼びとそ。その頃の先斗町(ポントチョウ)
という、ポン、ポントがポルトガル語か。
ポルイガルの大御祖母さんがおられた、
京都市役所、私の家です。トリケラトプス
(恐竜)と共に住んでいたこととそ。
1メートル程の蝶々、トンボという、いた
頃という。私が外へ出れば、頭に止まる
こととそ、蝶々頭という、トンボ肩という。
そんな頃です。市役所が立つ前、東西に
長い丘であった、この丘が私の家前の
丘から続いている。
 後、御池を埋め立て、御池通りを
飛行場にする、御池交範という。


という。

〔283文字〕 編集

No.277 by NO IMAGE 名無し 〔26日前〕

続き。
ソ連のウクライナ地方という。誰も
いれない時とそ。共産主義であるから
行けないのである。行ったという人が
いる。どんな人だろうか。
 この当時から少し新しいウクライナ、
ヨーロッパ、天皇をボロカスに言って
いたところである、アロメリカ、ロシア
もそうである、イギリスもそうである。
私はそういう、ロシア、アメリカ、
ウクライナ、ヨーロッパが好きである。
古い新聞をしらべればよい、たくさん
出ている。
 イギリス王室の御方々とキエフに生活
していた、露西亜人アメリカ人。ホルト
ガル人、マリウッポリ近辺の村に、ポルト
ガル語がある、今もあるでしょうなが。

■日付一覧:

■ハッシュタグ:

■カテゴリ:

■カレンダー:

2025年2月
1
2345678
9101112131415
16171819202122
232425262728

■最近の投稿:

■新着画像リスト:

全0個 (総容量 0Bytes)

■複合全文検索:

  • 投稿者名:
  • 投稿年月:
  • #タグ:
  • カテゴリ:
  • 出力順序:

ランダムに1件を見る / ギャラリーモードで表示 / サイトマップモードで表示 / 時系列順で表示する